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仙台地方裁判所 平成8年(ワ)944号 判決

全事件原告(以下「原告」という。)

甲山A子

右訴訟代理人弁護士

齋藤拓生

門間久美子

甲事件被告

株式会社第一勧業銀行(以下「被告銀行」という。)

右代表者代表取締役

乙川B夫

右訴訟代理人弁護士

野村昌彦

甲事件被告補助参加人、乙事件被告

丙川C雄(以下「被告丙川」という。)

甲事件被告補助参加人、丙事件被告

丁沢D美(以下「被告丁沢」という。)

甲事件被告補助参加人、丙事件被告

戊野E代(以下「被告戊野」という。)

右三名訴訟代理人弁護士

官澤里美

鈴木忠司

主文

一  甲事件

原告の請求を棄却する。

二  乙事件

被告丙川は、原告に対し、金一〇四六万一七〇七円及びこれに対する平成五年七月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  丙事件

原告の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、甲、丙事件について生じた部分は原告の、乙事件について生じた部分は被告丙川の各負担とする。

五  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  甲事件

被告銀行は、原告に対し、金一〇一二万一六二一円及びこれに対する平成四年七月二三日から平成五年七月二二日まで年四分二厘の、同月二五日から支払済みまで年六分の、各割合による金員を支払え。

二  乙事件

主文第二項と同旨

三  丙事件

被告丁沢及び同戊野は、原告に対し、各々金三五五万四一一四円及び内金三四八万七二三五円に対する平成五年一二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

(甲事件)

一  請求原因

1(本件定期預金の存在)

被告銀行は、預金又は定期積金の受入れ等を業とするところ、同銀行仙台支店には、平成四年七月二三日預入れにかかる丙川F江(以下「F江」という。)名義の額面一〇一二万一六二一円、期間一年、利率四分二厘の定期預金(以下「本件定期預金」という。)が存在した。

2(権利者)

右預金は、原告が、野村証券株式会社(以下「野村証券」という。)仙台支店に娘己原G子(以下「G子」という。)名義で開設していた口座を平成四年七月二三日に解約し受け取った金員を同日預け入れたものである。

3(払戻請求)

原告は、平成五年七月二四日、被告銀行に対し、右預金の払戻しを請求した。

4 よって、原告は、被告銀行に対し、本件定期預金契約に基づき、一〇一二万一六二一円並びにこれに対する平成四年七月二三日から平成五年七月二二日まで年四分二厘の割合による約定利息及び右定期預金の満期以後の日たる平成五年七月二五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1は認める。

2 同2及び3は否認する。

本件定期預金の出捐者即ち預金者は、名義人であったF江である。

三  抗弁

1 準占有者に対する弁済

(一) 被告銀行は、平成五年七月二三日、F江に対し、本件定期預金解約金一〇四六万一七〇七円を支払った(以下「本件払戻し」という。)。

(二) 本件定期預金の預入れに際して、被告銀行に提出された申込書、定期預金印鑑票には、「仙台市〈以下省略〉 丙川F江」と表示されており、また、本件払戻しに際して、F江の子である被告丙川は、被告銀行が発送した「定期預金期日案内状」を所持しており、これらのことからして、F江は、社会一般の取引通念に照らして、真実預金債権を有するものと思料するに足りる外観を備えていた債権の準占有者であり、被告銀行は、右払戻しの際、F江が本件定期預金の預金者であると信じていた。

(三) 一方、原告においても、本件定期預金預入れの際、被告銀行従業員の確認に対して、自分はF江である旨申し述べ、かつ、右預金が、その表示された外観と異なる者に帰属することを申し出ることは勿論、いささかもこれを疑わせるような言動をとっていないばかりか、F江本人の預金であることを特に強く表示していた。そして、被告銀行は、身分証明書等による本人確認はできなかったが、届け出られたF江の住所宛に郵便物を発送し、これが無事に到達したことを確認した。また、本件払戻しに際しては、被告丙川が、被告銀行の発送した定期預金期日案内状を持参して、F江が入院中で来店できない旨申し述べたため、被告銀行は、届出の住所、氏名宛に郵便物を発送し、入院中のF江を訪問した。その際、病院の入院者名簿、看護婦から聴き取り、健康保険証、他行の預金通帳などで厳重にF江本人であることを確認し、さらに、F江から通帳及び印鑑の喪失の事情及び被告銀行の発送した郵便物の到達を確認した。

(四) このように、本件定期預金の預入れ、通帳及び印鑑の喪失届並びに本件払戻しの一連の手続において、多数の預金者と取引する被告銀行としては、必要な調査義務を十分尽くしており、これ以上何らかの調査をしなければならない義務はなく、被告銀行には何らの過失もない。

したがって、本件払戻しは、債権の準占有者に対する弁済として有効である。

2 民法九四条二項の類推適用

右1のとおり、原告は、本件定期預金預入れの際、F江になりきり、本件定期預金の預金者がF江であるとの外観をその責任で作出し、被告銀行は、右外観どおりF江が本件定期預金の預金者であると信じて本件払戻しをしたのであるから、民法九四条二項の類推適用により、原告は、本件払戻しの無効を被告銀行に対して主張できないものというべきである。

四  抗弁に対する認否

1(一) 抗弁1(一)は認める。

(二) 同(二)ないし(四)は否認ないし争う。

銀行が、定期預金通帳及び届出印を所持しない者に対し、定期預金通帳及び届出印の喪失手続を行って定期預金の払戻しを行うに当たっては、単に定期預金の払戻しを受ける者が当該定期預金の預金名義人であることを確認するだけでは不十分であり、定期預金の払戻しを受ける者が当該定期預金の出捐者であることについての調査確認をする義務がある。

とりわけ本件においては、被告銀行は、本件定期預金預入れの際、原告とF江との同一性について身分を証明する書類によって確認していないこと、さらに、原告による右預金の申込書の署名の筆跡とF江による再発行証及び定期預金印鑑票の署名の筆跡とが一見して異なり、また、右申込書に記載されたF江の生年月日は真実のものとは異なっていたのであるから、定期預金通帳及び届出印の喪失手続の時点で、右預金の出捐者たる原告とF江が別人であることを認識していたはずであり、少なくとも認識し得たはずである。

このように、被告銀行には、F江が真の預金者か否かについての確認調査義務があったというべきところ、本件においては、なお、印鑑及び通帳の喪失手続を取った者及び本件払戻しの手続を取った者が名義人F江自身ではなく被告丙川であり、また、右喪失手続時には、同被告が被告銀行支店内で大声を出して騒ぐなどの異常な行動を取ったという事情があり、より慎重な調査が尽くされてしかるべきであった。ところが、被告銀行は、F江が本件定期預金の名義人であることを確認しただけで、同人が真の預金者即ち右預金の出捐者かどうかを調査確認しなかったばかりか、F江が、平成五年七月二一日に、定期預金通帳の紛失届を行ったところ、そのわずか二日後の七月二三日に同人に対し、本件払戻しを完了するという異例の扱いをしているのである。

右の事情によれば、被告銀行が、F江を本件定期預金の真の権利者と信じたことについては重大な過失がある。

2 同2は否認ないし争う。

民法九四条二項を類推適用するためには、預金の出捐者が、預金名義人と通謀したり、預金名義人が真の権利者であるかのような外観を作出する際、名義人の身分を証する文書を提出したりするなどの積極的作為が必要であるが、本件預入れの際、原告は、F江と通謀していないし、同人の身分証明書を被告銀行に示すなど、F江であることを示す積極的作為を行ってもいないから、民法九四条二項を類推適用する基礎がない。

(乙事件)

一  請求原因

1 甲事件請求原因1(本件定期預金の存在)及び2(権利者)のとおり。

2 (被告丙川の不法行為)

被告丙川は、本件定期預金の出捐者が原告であることを熟知していたにもかかわらず、その名義がF江とされていたことを奇貨として、平成五年七月二一日、定期預金期日案内状を持参して被告銀行を訪れ、F江を代理して本件定期預金の解約を申し込み、通帳等の喪失届を提出する等一連の手続を取り、同月二三日、被告銀行をして本件定期預金解約金一〇四六万一七〇七円をF江名義の普通預金口座に振り込ませ、原告の被告銀行に対する預金返還請求権を侵害し、原告に右解約相当額の損害を被らせた。

3 よって、原告は、被告丙川に対し、不法行為に基づく損害賠償金として、一〇四六万一七〇七円及び不法行為の日である平成五年七月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1のうち、甲事件請求原因1(本件定期預金の存在)は認め、同2(権利者)は否認する。

原告が野村証券に預け入れていた金員は、F江が、金融機関へ預け入れるよう原告に依頼したF江の金員であり、その後、原告は、F江の指示を受け、右金員をF江名義で被告銀行に預金したのであり、本件定期預金の出捐者、即ち権利者は、F江である。

2 同2(被告丙川の不法行為)は否認する。

(丙事件)

一  請求原因

1 甲事件請求原因1(本件定期預金の存在)及び2(権利者)のとおり。

2(一)(F江の不法行為ないし不当利得)

F江は、本件定期預金が自己の出捐にかかるものでなく、原告の出捐にかかるものであることを知りながら、その名義が自己のものとされていたことを奇貨として、右預金の払戻しを受けるべく定期預金印鑑票を作成するなどして被告銀行から本件定期預金解約金一〇四六万一七〇七円の払戻しを受け、原告の被告銀行に対する預金返還請求権を侵害し、原告に右解約金相当額の損害を被らせたもの、あるいは、法律上の原因なく、同額を利得し、原告に同額の損害を与えたものである。

(二) 仮に、F江が、本件定期預金の出捐者が自己でないことを明確に了解していなかったとしても、同人は、被告銀行に、本件定期預金のほかには口座がなかったのであるから、本件定期預金に関し、その金額あるいは預入時期などについて調査し、自己の出捐による定期預金でないことを確認すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、慢然と払戻しの手続を取ったことにつき過失がある。

(三) したがって、右F江の行為は原告に対する不法行為ないし不当利得を構成する。

3(相続)

F江は、平成五年一二月九日死亡し、その長女被告丁沢及び養女同戊野(被告丙川の長女)は、長男被告丙川とともに、それぞれ各三分の一の割合でF江の権利義務を相続した。

4 よって、原告は、被告丁沢及び同戊野に対し、不法行為に基づく損害賠償金ないし不当利得金として、各々三五五万四一一四円(本件定期預金解約金一〇四六万一七〇七円とこれに対する不法行為ないしは不当利得の日である平成五年七月二三日からF江が死亡した同年一二月九日まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金二〇万〇六三五円の合計額の三分の一)及び内金三四八万七二三五円に対する平成五年一二月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1のうち、甲事件請求原因1(本件定期預金の存在)は認め、同2(権利者)は否認する。

本件定期預金の出捐者は、F江である。

2 同2(F江の不法行為ないし不当利得)は否認ないし争う。

3 同3(相続)は認める。

第三当裁判所の判断

(甲事件について)

一  請求原因1(本件定期預金の存在)は、当事者間に争いがない。

二  そこで、同2(権利者)について判断する。

1 ≪証拠省略≫、証人庚崎H美、同己原G子、同辛田I郎(後記信用しない部分を除く。)、同壬岡J介、同癸井K代の各証言、原告及び被告丙川(後記信用しない部分を除く。)各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、本件の経過につき以下の事実が認められる。

(一) 原告は、大正三年生まれであり、昭和三〇年ころに夫を亡くし、昭和四〇年ころに岩手県から仙台市に出てきて食料品会社に勤務したが、昭和四六年ころからは病院の付添婦として働いてきた。仙台市に出てきた当初は生活は苦しく、亡夫の妹であるF江から多少の生活の世話になったこともあったが、その後は子供も成長して養育費等もかからなくなり、付添婦として得た収入の殆どは貯金することができた。

(二) 昭和五九年ころ、原告は、勤務先の病院で野村証券の従業員丑木L江と知り合い、同年一一月一九日、野村証券に自己名義の口座を開設して、以降、同社に金員を時々預託して国債や公社債売買等の取引を行っていた。そして、原告は、平成元年五月一日、それまで株式会社日本長期信用銀行(以下「長期信用銀行」という。)や郵便局等に貯金していた金員の合計一一四八万円を野村証券に預けたが、その際、原告は、同居していた長男には既に家の新築資金を出してやっており、右金員は長男ではなく三人の娘たちに残してやりたいと考え、これを前記自己名義の口座とは別に開設していた二女のG子名義の口座に入金した。なお、右G子名義の口座は、これをG子自身が取引に利用したのは二回くらいであって、そのほかは専ら原告がG子から印鑑を借り受けてこれを利用し、国債等の売買を継続していた。

(三) ところが、平成四年七月ころ、原告は、野村証券に金員を預けていた者が大損をしたというテレビニュースを見て不安になり、これを野村証券から銀行に預け替えようと考えたが、精神的障害を持つ長女が同年一月から生活保護を受けていて、自分やG子に銀行預金があることが分かると生活保護が打ち切られるのではないかと恐れ、預け替えの際には亡夫の妹であるF江の名義を借りようと考えた。そして、原告は、F江の息子である被告丙川に電話し、F江名義を借り受けることについての了解を求めたところ、被告丙川は、これを承諾した。

そこで、原告は、同月二三日、野村証券のG子名義の口座を解約して解約金一〇〇二万一六二一円を受取ったうえ、同日、被告銀行仙台支店を訪れ、受付で右金員に手持ちの現金一〇万円を加えた一〇一二万一六二一円を期間一年の定期預金として預け入れたい旨申し込んだ。

被告銀行では、一〇〇〇万円を超える大金であることもあり、当時いわゆるマネーロンダリングの防止が社会的に耳目を集め、預金における本人確認も厳格さが要求されていた時期であったため、窓口担当者に替わり、預金係の証印者であり、マネーロンダリング防止の責任者でもある癸井K代(以下「癸井」という。)が原告に応対した。そして、同人が、原告自身の名義での預金かどうかを尋ねると、原告はこれを肯定し、定期預金の申込書の住所欄にそれまでに知っていたF江の住所を、氏名欄に「丙川F江」と躊躇することもなく記入した。癸井は、右原告の記入の様子、及び記載された生年月日(これは実際にはF江のものでなく、原告のものであった。)と原告の年格好とが相応していることを確認し、さらに、原告に対し、身分を証明する書類として健康保険証等を所持しているかどうかを尋ねたところ、原告は、持っていないと答えたため、さらに、診察券や、高齢者の持っている無料パスなどは持っていないかと尋ねると、原告は、これを探すような様子を示したが、結局、持っていない旨答えた。そこで、癸井が、原告が家族とともに暮らしているのか、持参した金員はどこかの銀行に預けていたものを満期が来て預け替えるのか等と尋ねたところ、原告は、脳の障害がある娘のために家政婦をしながら貯めた金であり、野村証券に預けていたが、損をしたので被告銀行に持ってきた、大金を持って帰るのも怖いので是非預かって欲しい等と述べた。

癸井は、右の原告の態度には何ら不審が感じられなかったので、健康保険証等による原告とF江との同一性の確認は後日することとして、右定期預金を受け付けて通帳を交付した。そして、右通帳と「丙川」の印章は現在に至るまで原告が保管している。

一方、癸井は、原告に対し、ついでの折にでも健康保険証を持参するよう求め、また、右定期預金につき、確認未済として健康保険証等の持参を電話で督促するよう部下に指示した。しかし、その後に原告が右保険証等を持参することはなく、平成五年五月ころ、被告銀行では内規に従った本人確認の方法として、前記定期預金の申込書に記載された住所、氏名宛に簡易書留を発送し、その到着を確認した。

(四) 平成五年七月一九日ころ、本件定期預金の定期預金期日案内状がF江方に郵送されたが、被告丙川は、同月二一日、これを持参して被告銀行仙台支店を訪れた。そして、被告丙川は、右名義人のF江は同被告の母親であること及び通帳及び印鑑を紛失したが、即座に右定期預金の払戻しをして欲しい旨申し立てた。これに対し同店の従業員が通帳と印鑑がないとすぐには払戻しができないので、所定の手続を踏んで欲しい旨伝えると、被告丙川は、立腹し、替わって応対した癸井及び業務課長である壬岡J介(以下「壬岡」という。)らに対しても大声を出し、なだめようとした同伴の女性を小突くなどしたため、警察官を呼ぶ事態となった。

その後、被告丙川は、冷静になり、本件定期預金はF江が病気がちの娘に残すために蓄えてきた金を貯金したものであること、F江は現在、仙台市太白区長町の宮城健康保険病院に入院中で来店できないこと、右定期預金の通帳及び印鑑は探したけれども見つからないので、F江が入退院を繰り返しているうちに失くしたのではないかと思うこと等を話し、F江名義で本件定期預金通帳及び届出印の喪失届を提出した。これを聞いていた癸井は、右の本件定期預金預入れの動機についての話が、その預入時に聞いていた事情に合致するとして、これを壬岡にも伝えた。

そこで、壬岡も、右定期預金の権利者がF江であることを疑うことなく、被告丙川に対し、その後の払戻しの手続について、預金申込書の住所に案内状を送付し、その到着を確認して、案内状を回収した上、健康保険証等、身分を証明するもので預金者本人であるかどうかの確認をし、印鑑の変更届等を提出してもらう等と説明した。

(五) 翌同月二二日、被告丙川は、電話で被告銀行に対して、F江が、七月二三日には退院して亘理に長期療養に行くので、できれば病院で本人確認をして欲しい旨述べた。

(六) このため、同月二三日、壬岡は、被告銀行の従業員一名とともに、宮城健康保険病院にF江を訪ねた。その際、右壬岡らは、まず看護婦にF江が入院していることを確認するとともに、受付の入院者名簿により、入院中のF江の住所、氏名を確認した。そして、看護婦に待合室で診察待機中の老女がF江であると教えられ、同人に対し、名刺を出して、被告銀行の仙台支店の者であり、当行に一〇〇〇万円の定期預金があるがその通帳と印鑑を持っているかと尋ねたところ、F江は、今通帳と印鑑を探している旨答えた。さらに、そこに現れた被告丙川に案内されてF江の病室に行き、そこで、同被告から、F江の健康保険証、被告銀行が発送した喪失届の案内状の不在通知、F江名義の徳陽シティ銀行の普通預金通帳などを見せられた。

そして、診療が終わって車椅子で病室に戻る途中のF江に会い、同人が本件定期預金証書の再発行証及び定期預金印鑑票に署名押印したが、同人は目が悪い様子である上手も震えていたので、届出印の変更届は被告丙川が代筆した。

また、右同日、被告丙川から、F江が退院してすぐに亘理へ長期療養に行ってしまうので遠方で手続がしにくくなり、また、病院の支払等に必要でもあり、払戻手続を急いで欲しい旨の申し出があったため、そこで、右壬岡らは、帰店後、指定のあったF江の徳陽シティ銀行の普通預金口座に振り込むことにより本件定期預金払戻金全額を支払った。

(七) 被告丙川は、右振込がなされるや、これを農協の自己名義の口座に振り替え、間もなくその払戻しを受けて自己の事業資金等に費消した。

(八) 一方、原告は、同年八月二日、被告銀行仙台支店に赴き、本件定期預金の解約を申し込んだところ、同店の従業員から、右定期預金は既に解約済みである旨伝えられ、その事情を確かめることもできない状態で驚いて帰宅した。

(九) その後、原告は被告丙川に対し、電話で、F江名義の定期預金通帳を持っており、これを払い戻すのに必要なため、F江の健康保険証を貸して欲しい旨依頼したところ、被告丙川から家に来るように言われて同被告方に赴いた。同所には、被告丙川とその経営する会社の従業員であった辛田I郎(以下「辛田」という。)がおり、被告丙川から、本件定期預金は原告のものかと改めて尋ねられた。そこで原告は、その旨答えると、被告丙川は、右預金は使ってしまったが、山口県に行って二年か三年働くと二倍か三倍になるから、そしたら払うからということであった。

(一〇) さらに、同月一一日ころ、原告は、原告の三女寅葉M子の家にいるとして辛田から電話で呼び出され、同人から書面を見せられてそのとおりの文章を書くよう要求された。原告は初めこれを拒絶していたが、辛田から、被告丙川にこの件で暴れられて困っている、どうしてもこれを書いて持っていかないと困るからなどと繰り返し求められ、仕方なく「今回甲山A子は丙川F江さんの口座を借りて金一〇〇〇万円也を預金したといってその金を丙川F江さん丙川C雄さんに返還を請求した件に関し私のかんちがいでありこの金はもともと丙川F江さんのものであることをみとめます。」等と記載した書面(≪証拠省略≫)を作成した。

2 以上の認定事実によれば、原告は、自ら働いて得た収入を野村証券に預け、これを解約して被告銀行に本件定期預金として預金したものであり、本件定期預金の出捐者即ちその権利者は、原告であるということができる。

3 これに対し、被告丙川本人は、平成元年二月一六日ころ、同被告が店舗を売却した代金からF江に一〇〇〇万円を交付しており、これが野村証券のG子名義の口座の資金となり、ひいては本件定期預金の原資となったものと推測されるかのように述べ、また、F江が月額七〇万円近くの賃料収入を有し(≪証拠省略≫)、金銭的に余裕のある生活をしていた事実が窺われ、原告が仙台市に来たころは原告に対して多少の生活の世話をしていたことは前認定のとおりである。しかしながら、被告丙川がF江に対して右一〇〇〇万円を交付したとの事実自体、これを認めるに足りる的確な証拠は見当たらない上、F江は、同人が保有していた金員を、その取引先である徳陽シティ銀行に預け、当該口座での入出金を繰り返していたものであって(≪証拠省略≫)、このようなF江が、原告に対して、敢えて一〇〇〇万円を越える金員を交付し、野村証券で原告ないしその娘名義で国債の売買等の取引を繰り返させ、さらに、その後F江名義で被告銀行に定期預金をさせておくこと、しかも、その預金通帳や印鑑の引渡しを求めずに原告にそのまま保管させておくことの理由や必要性は、本件において全く見当たらない。また、これら原告に預けた金員やその運用に関して、F江が関心を示したり、原告から報告を受け、又は原告に何らかの指示を与えた形跡さえ全く窺われないのであって、本件定期預金の出捐者をF江と見るときの不合理さは著しいものというべきである。

原告の本件定期預金の原資に関しては、原告が野村証券に平成元年五月に預託した一一四八万円の金員につき、原告がそれまでに預けていたと供述する銀行預金や郵便貯金の存在を裏付ける証拠は必ずしも提出されてはいないものの、郵便貯金等は既に解約済みのため調査が十分にできず、原告の記憶も曖昧である点を考慮するとやむを得ないということができるし(≪証拠省略≫)、原告はその以前から、長期信用金庫と二五〇万円程度の取引はしているし(≪証拠省略≫)、昭和五九年以降、自己の名義で野村証券と二百数十万円程度の取引を継続しているのであって(≪証拠省略≫)、付添婦の収入によって、十数年間で一〇〇〇万円を超える貯金をしたと原告が供述する点や、本件定期預金をF江名義でしたとする経過に格別不自然不合理な点は窺われない。

なお、原告が本件定期預金がF江のものであることを認めるかのような書面(≪証拠省略≫)を作成した点については、記載した際に立ち会い、書面の交付を受けたいという辛田は、本件定期預金に関して十分な知識を有していたとは認められ難いこと、さらに、証人辛田は、右預金に関し、原告に会いに行った経過について、被告丙川から原告が本件定期預金を自己のものであると主張しているので、原告の様子を見てきて欲しい旨依頼されたからである旨証言するところ、この時点においては、既に、右預金はF江の口座に振り込まれて払戻しが完了した後であって、仮に、原告がこのような主張をしていたとしても、これを問題視する理由も必然性も見出し難いこと、また、もし右のような事情聴取の必要があるのであれば、原告の甥である被告丙川が自ら赴けば足りることであって、敢えて事情を知らない辛田をして右のような役割を命じる必要は認め難いものというべきであり、他方、本件定期預金を自己のものであると主張していた原告が自発的にこのような内容の文書を記載して辛田に渡す理由も見出し難い。加えて、その書面の内容も、結論として本件定期預金がF江のものであると認めるだけで、原告がF江から依頼を受けた経緯等についての記載が全くないのであって、このような事情を総合して考えれば、原告本人が供述するとおり、右書面は辛田に強く求められるまま、その指示によりやむを得ず記載したものに過ぎないものと認めるのが相当である。

したがって、本件定期預金の出捐者がF江であり、原告も右事実を認めていたとする右証人辛田の証言や被告丙川本人の供述は到底信用することができず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

三  進んで抗弁について判断する。

1 前記認定の事実によれば、(一)本件定期預金の実際の出捐者は原告であったとはいうものの、原告は、自らをF江であるとして本件定期預金の申込みをなし、申込書にF江の住所氏名を躊躇なく記入するなどして、あたかもF江であるかのように行動し、被告銀行において、原告とF江の同一性について疑いを生ぜしめるような素振りは一切見せなかったこと、そして被告銀行は、右申込みの際には、健康保険証等で右の同一性を確認することはできなかったものの、その後、F江宛に送付した郵便物も到着し、これによって右確認手続をしたこと、また、(二)本件払戻しに際しても、F江の息子である被告丙川が定期預金期日案内状を持参したものであること、同被告が右払戻しに必要な印鑑及び通帳をなくした旨述べたことから、被告銀行は、その場合に必要な確認のための手続をすべく、その従業員が入院中のF江を訪ねたところ、F江自身が、右通帳と印鑑を探している旨述べて本件定期預金の権利者らしい言動をしていたことからみて、F江は、本件定期預金の預金者らしい外観を有していたものということができ、F江以外に真の出捐者が存在することを疑うに足りる事情は存在しなかったことなどが認められ、これら一連の経過からすれば、F江は、本件定期預金債権の準占有者であったと認めるのが相当である。

そして、右払戻しに際して、被告銀行がした以上に、F江がその権利者であることの調査をなすべき義務があるものとはいえず、被告銀行に特に金融機関として要求される注意義務の懈怠は存しないというべきである。

2 もっとも、前記認定のとおり、本件定期預金の払戻しを求めて被告銀行仙台支店に来店した被告丙川が一時は大声を出して騒ぎになったことが認められる。

しかし、被告丙川は、間もなく冷静になり、その後被告銀行は、被告丙川に対し、印鑑及び通帳の紛失に際しての必要な手続を教示し、被告銀行においても、所定の手続を踏んだ上で、本件払戻しに至っており、これら一連の経過からすれば、右の一時的な異常な事態をもって直ちに本件定期預金の権利者がF江であるとすることに疑いを持つべき事情があったとすることまではできない。

また、病院でF江の健康保険証に記載された同人の生年月日(大正二年○月○日生)と本件定期預金預金申込書に記載された生年月日(大正三年○月○日生)とが食い違っていた点が見落とされているが、生年月日の記載は預金名義人と出捐者との同一性を判断する上での中心的な事項とは言い難い上、右のとおり各生まれた年が近接していて、このことからも注意を惹きにくいものとなっており、この点をもっても、被告銀行において、F江以外の者が本件定期預金の権利者であることを疑うべき事情であるとすることはできない。

次に、本件定期預金の申込書(≪証拠省略≫)の署名の筆跡とF江による再発行証(≪証拠省略≫)及び定期預金印鑑票(≪証拠省略≫)の署名の筆跡とは、これを対比して見れば異なっているといわざるを得ないものの、前記認定のとおり、F江は、高齢で、入院中の身であり、車椅子に乗ったままの状態で、しかも目が悪い様子である上手も震えていたのであるから、このような状況のもとでの右筆跡の差異は特段不自然さを感じさせる程のものということはできない。

さらに、≪証拠省略≫によれば、被告銀行の内規では、通帳と印鑑の喪失の際の再発行には原則として喪失受付日から一週間が必要とされているにもかかわらず、本件では、前記認定のとおり、本件払戻しにつき、被告丙川の求めに応じ、右内規の定めよりも早く支払手続がなされている。しかしながら、本件定期預金の満期は既に到来しており、それ以前に敢えて払戻しを早めたというものではなく、かつ、右内規には課長権限で手続期間を短縮できる旨の定めもあり、本件払戻しはこれに沿う処理がなされていること、さらに、右期間を短縮したことによって、特に預金者の確認が疎かとなったという事情も見当たらないから、この点も前記認定を覆すものではない。

3 したがって、被告銀行の本件払戻しは、債権の準占有者に対する弁済として、民法四七八条により、有効というべきである。

四  よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告銀行に対する請求は理由がない。

(乙事件について)

一  そこで、被告丙川の不法行為について検討するに、前記甲事件について認定したとおり、同被告は、原告から、本件定期預金預入れの際、電話でF江名義で預金することの了解を求められてこれを了承し、原告がF江名義で預金していることを承知しており、他方、F江は本件定期預金の通帳及び印鑑を所持していなかったこと、また、被告丙川が、被告銀行仙台支店を満期以前に訪れて払戻しを請求した上、被告銀行に対して入院中のF江の本人確認を求め、さらに、F江が長期療養に行くことや病院の支払等に必要なことなどの事情を述べて全体的に払戻手続を急がせていること、本件払戻によりF江の口座に振り込まれた金員をすぐに自己の農協の口座に振り替えていること、右払戻後に本件定期預金が自己のものである旨述べた原告に対し、一旦は働いて返す旨述べ、その後その意を受けた辛田が原告に対し、《証拠省略》のような書面を書かせていること等の事情を総合すれば、被告丙川は、本件定期預金の真の預金者が原告であることを十分知っていたものというべきである。

そして、被告丙川は、右のような状況にありがち、F江に送付された定期預金期日案内状を被告銀行仙台支店に持参し、F江が預金者であるとして同人への本件定期預金の払戻しを請求し、被告銀行をしてF江名義の銀行預金口座に本件定期預金払戻金一〇四六万一七〇七円を振り込ませ、さらにこれを自己の事業資金等に費消し、原告の被告銀行に対する預金返還請求権を侵害したものであって、右被告丙川の行為は原告に対する不法行為を構成し、原告はこれにより右払戻金と同額の損害を被ったものというべきである。

二  したがって、被告丙川は原告に対し、右払戻金額に相当する損害金一〇四六万一七〇七円及びこれに対する不法行為(本件払戻し)の日たる平成五年七月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を賠償すべき義務を負う。

(丙事件について)

一  さらに、F江の不法行為ないし不当利得の成否について検討するに、前記甲事件における認定のとおり、F江は、本件定期預金証書の再発行証及び定期預金印鑑票に署名押印し、また、被告銀行の従業員に対し、本件定期預金について、今通帳と印鑑を探している旨述べているが、他方、同人は、当時高齢かつ入院中であって、被告銀行仙台支店を訪れて同人名義の本件定期預金の払戻しを請求し、右預金名義人とF江本人の同一性の確認を依頼するなど本件払戻しの手続を主体的に行っていたのは被告丙川である。また、右による払戻金は一旦はF江名義の銀行預金口座に振り込まれてはいるが、その後被告丙川によって直ちに引き出されて同被告の事業資金等に費消され、結局は、同被告が利得しているものである。右の各事情を総合すれば、F江が、原告の預金返還請求権を侵害することを認識していたかは明らかではなく、かつ、右各書面への署名押印並びに本件定期預金の通帳及び印鑑を紛失したかの如き言動も、被告丙川の指示に基づいて、同被告が本件定期預金の払戻しを受けるためのいわば手足として行動したに過ぎないものとも解し得るところである。

二  したがって、F江の行為が不法行為を構成し、あるいは不当利得を得たと認めるには足りず、他にこれを認めるに足りる証拠のない本件においては、原告の被告丁沢及び同戊野に対する請求はいずれも理由がない。

(結論)

以上によれば、原告の被告銀行に対する甲事件請求並びに被告丁沢及び同戊野に対する丙事件請求は、いずれも理由がないからこれらを棄却し、被告丙川に対する乙事件請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、被告丙川の求める仮執行免脱宣言は相当ではないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 梅津和宏 裁判官 大野勝則 大澤知子)

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